父のベンチ
年末の大掃除、外回りの作業が一段落し、一息入れようと、門の脇にある備え付けのベンチに座った。六年前まで父がこのベンチにちょこんと腰掛けて、デイサービスの送迎車を待っていた姿を思い出した。律儀に、むしろ愚直に身じろぎもせずにじっと待っていた。硬い木を選んで設えたベンチだが、その表面は腐蝕していて、腰を上げたときに二、三度ズボンを払わなければならなかった。自宅を建てて十二年、父が他界して六年の月日が流れたのだ。師走半ばの七回忌。有り難い読経に促されるように、父の知らない我が家の出来事を、あれこれと思い出しては遺影に報告した。初孫の結婚と曾孫の誕生。開業したこと。私の息子と娘が大学と高校に進学したこと。そのほか取るに足らない由無し事。生きていればこそ紡ぎあえる家族の絆と、生と死では断ち切れない家族の絆。年の瀬の慌ただしさの中で、時が止まった仏間に端座して、過ぎし日々を振り返る。「人生とは?」、自分の出すべき答えはやはり未来にあって、だがしかしそれを導く鍵は、人の一生分を遙かに越えた過去にあるのだろう。年が明け、再び時が動き出す。踏みしめる大地がそこにあり、歩き出す道が彼方へと続いている。速度はアンダンテ。急かされることも焦ることもない。見失いたくない何かを、見定めるために、何度でも立ち止まろう。時には父のベンチに腰掛けてみるのもいいだろう。同じ景色は見られないだろうが、どこかで空は繋がっているのだ。
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